2006/ 6/11 「誇る者は主を誇れ」 (1コリント1:26−31) |
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「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、 このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり 、義と聖と贖いとなられたのです。 『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」 (1コリント1:30、31) |
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一般的に考えれば、十字架で殺されたような者が 私たちの救い主となられたということはとても受け入れられることではありません。 これが人間の知恵による判断です。けれども、神の知恵は人よりも賢く、 十字架によって葬られたからこそ、私たちの罪を贖い、 私たちを救うことが具体的になったのです。 この主イエス・キリストこそ誇りなさいとパウロは勧めます。 確かにコリントの教会の人たちは 知恵や富がそれほど豊かだったわけでありませんでした。 でも、ないからこそ、それらにあこがれる思いが強かったのです。 その結果、この世的な知恵や富が心の中を満たし、 神の知恵を愚かと考えてしまう誘惑を断つために、「誇る者は主を誇れ」なのです。ントの教会の人たちは知恵や富がそれほど豊かだったわけでありませんでした。でも、ないからこそ、それらにあこがれる思いが強かったのです。その結果、この世的な知恵や富が心の中を満たし、神の知恵を愚かと考えてしまう誘惑を断つために、「誇る者は主を誇れ」なのです。 |
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