2006/ 6/18 「十字架のキリストの宣教」 (1コリント2:1−5) |
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「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、 イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、 何も知るまいと心に決めていたからです。」 (1コリント2:2) |
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○パウロが徹底的に語ったのは、「イエス・キリスト」という救い主の人格と、 「十字架につけられたキリスト」という救い主の御業についてです。 特に、「それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」 と強調しています。 それは、十字架はキリストが私たちの罪の身代わりとなられたというだけでなく、 神の前に生きる力の源となるからです。 このことをパウロは、「人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになる」 ことを願っています。 でもそれは超能力のようなものなのではなく、 とにかく「十字架につけられたキリスト」に集中することによってなされるものなのです。 なぜなら十字架こそ、神の力のあらわれるところだからです。 江古田教会 牧師 風間 義信 |
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