2006/7/30

「イエス・キリストを土台として」
       (1コリント3:10−11)
「イエス・キリストという既に据えられている
土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」

(1コリント3:11)

いったい、イエス・キリストを土台に据えると言うことはどういうことなのでしょうか。
実際のキリストを据えることは神にしか出来ないことです。
ですから、正確に「イエス・キリストという既に据えられている土台」と
言われていますように、これはパウロがイエス・キリストについて語った教え、
つまり、キリストの教えなのです。
 私たちの罪のために十字架にかかり、罪赦してくださった方を他にして、
教会を建てることは出来ません。
これは皆が罪人であり、贖われなければその罪を解決することは出来ないほどに
無力であり、だからこそ、キリストの十字架によって贖われたという、この事実です。
この感謝、喜びからだけ、上に建てていくことが出来るのです。
あああああああああああああああああああああああああ江古田教会 牧師 風間 義信


2006年7月30日○○○
朝の礼拝 開会 午前10時15分 夕の礼拝 開会 午後4時
前 奏

招きの言葉
讃 詠
開会の祈り
信 仰 告 白

讃 美 歌
聖 書 朗 読

牧会の祈り
成人洗礼式
幼児洗礼式
讃 美 歌
説 教
祈 り
讃 美 歌
献 金
感謝の祈り
頌 栄
祝 祷
後 奏
報 告

「Allemande」
○○○ああああ○ ○J.S.バッハ
詩編117編1〜2節
57番(讃美歌21)
主の祈り
(週報裏面)
ウエストミンスター小教理問答
問59〜60
145番
(讃美歌21)
コリントの信徒への手紙 一
3章10〜11節
(新302)



492番
(讃美歌21)
「イエス・キリストを土台として」  
○○○○○○○○風間 義信牧師
390番
(讃美歌21)


27番
(讃美歌21)
○○○○○○○○風間 義信牧師

(本日休会)

2006/7/23「成長させてくださる神」 2006/8/6「火の中をくぐり抜けての救い」

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