2006/9/10 「わたしを裁く方」 (1コリント4:3−5) |
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「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、 人の心の企てをも明らかにされます。 そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」 (1コリント4:5) |
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」 自らを顧みる時に、自分の良心と照らし合わせてやましくなければ良いという 考えがあります。 しかし、それはいつのまにか結局自分の思いを絶対的なものとしてしまいます。 本当の意味で自分を顧みることは、神様の目を意識し、 その裁きを重んじて生きることになります。 なぜなら、主の裁きの時にこそ、人の目に隠されていた一切のことが 明らかにされるからです。 ただパウロはそれにおびえるのではなく、 逆に世の終わりに「おほめにあずかる」と言っています。 確かに足りない一人一人ですが、私を救ってくださった神様に期待し、 忠実な僕よ、よくやったと神様に認められ、おほめをいただけることこそ、 終末の確かな希望です。 |
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あああああああああああああああああああああああああ江古田教会 牧師 風間 義信 |
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