2006/11/12

「神の国は言葉ではなく力」
aaa (1コリント4:18−21)
「神の国は言葉ではなく力にあるのですから。」
(1コリント4:20)

  神の国、すなわち主イエス・キリストのご支配が言葉ではなく力にあると言うのは
どういうことでなのでしょうか。
これは人間の知恵が考え出したものを「言葉」と呼んでいるのに対して、
キリストの十字架と言う救いに至らせるものこそ「力」であると対比されているのです。
 このキリストの十字架にこそ、高ぶる思いを打ち砕く力があります。
高ぶりというものは、何も横柄とか攻撃的であることとは限りません。
むしろ神の恵みを軽んじるところから出てくるものです。
つまり、高ぶりとは人を見下げるよりも、神を見下げることに他なりません。
 だからこそ、その思いは人の言葉によって変えられるものではなく、
十字架の力によってのみ砕かれるということに信頼して祈っていくところに
道は開けてくるのです。

あああああああああああああああああああああああああ江古田教会 牧師 風間 義信


2006年11月11日○○○
朝の礼拝 開会 午前10時15分 夕の礼拝
前 奏

招きの言葉
讃 詠
開会の祈り
信 仰 告 白

讃 美 歌
聖 書 朗 読

牧会の祈り
讃 美 歌
説 教
祈 り
讃 美 歌
献 金
感謝の祈り
頌 栄
祝 祷
後 奏
報 告

「前奏曲 No.25」
○○○ああああ○ ○鷲見 五郎
詩編117編1〜2節
57番(讃美歌21)
主の祈り
(週報裏面)
ウエストミンスター小教理問答
問94〜95
156番
(讃美歌21)
コリントの信徒への手紙 一

ああ
4章18〜21節(新304)

224番
(讃美歌21)
「神の国は言葉ではなく力」  
○○○○○○○○風間 義信牧師
535番
(讃美歌21)


27番
(讃美歌21)
○○○○○○○○風間 義信牧師

(本日休会)

2006/11/5「神の言葉の回復」 2006/11/19「肉の滅びと霊の救い」

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