2006/12/ 3 「わたしたちの祭り」 aaa (1コリント5:6−8) |
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「聖句」 (いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。 現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。 キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。) (1コリント5:7) |
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」 キリスト者はキリストの十字架の死において、 既に罪や悪などの古い種とは縁を切りました。 けれども、現実に私たちは日々罪を犯してしまい、なお古い性質が残っております。 この「既に」と「なお」という、原理としてはきよいのですが、 罪との戦いの中にあるからこそ、私たちは古いものの捨て、信じて従って行く道があるのです。 あくまでもキリストが小羊として屠られたからこそ、 罪が赦されるという神の恵みによる救いこそ私たちに提供されたものです。 決して自分で古いパン種を取り除いたから小羊を屠ってくださいという業の功績を 誇るものではありません。 この恵みによる救いを喜ぶことこそ、本当に祝われるべき祭りなのです。 |
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あああああああああああああああああああああああああ江古田教会 牧師 風間 義信 |
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