2007年11月25日 「一人一人に分け与えられる」 (1コリント12:4〜11) |
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今週の御言葉 「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、 また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」 (1コリント12:3) |
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ああえて「一人一人」と言われているのは、 文字通り、一人一人が何らかの賜物を持っているということです。 そもそも聖霊はペンテコステの時に一人一人の上にとどまられ、一同が満たされました。 それぞれの違いが素晴らしいのであって、それこそ神から与えられた賜物です。 ですから、これは何かが出来ると言った技能を誇るのではなく、 救われた者に神が働かれて用いられるものです。 しかも、各々は小さな者であっても、与えられているものをささげあい、 組み合わされることによって、神は全体の益としてくださいます。 このようにキリストの体なる教会は、 降られた聖霊によって一人一人の賜物がささげあって建てられていくところです。 ですからそこにいなくても良い人など一人もおりません。 そのようなかけがえのない者として、一人一人が招かれているのです。 。 |
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江古田教会牧師 風間 義信 |
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朝の礼拝 | 開会 午前10時15分 | 夕の礼拝 | 開会 午後4時 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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