2009年4月12日

「人生の同伴者」
(ルカ24:13〜35)
今週の御言葉
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか」
(ルカ24:32)

 復活の主が共におられるということを、私たちはどこで確信することができるのでしょうか。
「すると、二人の目が開け、イエスだと分かった」のは、
イエス様がパンを裂いてお渡しになった時です。
つまり、共におられるということは、御言葉の説き明かし、祈り、賛美、
そしてパンを裂くという聖餐式によって与えられるものです。
 このように、主導権は主の側にあるのですが、これは弟子たちがイエス様に
「一緒にお泊りください」と願ったからこそ実現したものです。
もし、これがなければ、イエス様は先へと行ってしまいました。
しかも、これが起こったところは食事の席という、置かれている只中においてです。
その日常の中にこそ主を迎える時、心は燃えていたではないか」となるのです。




江古田教会牧師 風間義信 

  朝の礼拝     午前 10時15分   夕の礼拝     午後 1時30分
前     奏 あがない主の生き給うを知る」
ヘンデル 召天者記念礼拝
招きの言葉 詩編68編20,21節 (プログラムは別紙)
讃     詠 53番(讃美歌21)
開会の祈り 主の祈り(讃美歌21・93-5-B)
信 仰 告 白 ウエストミンスター小教理問答:
問31〜32
讃  美  歌 127番(讃美歌21)
聖 書 朗 読 ルカによる福音書
24章13〜35節(新160)
牧会の祈り
讃  美  歌 322番(讃美歌21)
説     教 「人生の同伴者」  
風間 義信牧師
祈     り
讃  美  歌 323番(讃美歌21)
聖  餐  式
讃  美  歌 81番(讃美歌21)
献     金
感 謝 の 祈 り
頌     栄 24番(讃美歌21)
祝     祷 風間 義信牧師
後     奏
報     告

2009/4/5「御手にゆだねる」   → 2009/4/19「与えられた恵みによって」

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