2012年8月26日 「礼拝を行うために」 (ヘブライ9:1〜10) |
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今週の御言葉 「供え物といけにえが献げられても、 礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。」 (ヘブライ9:9) |
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「ヘブライ人への手紙」の中で多く語られている祭司や大祭司が 何のために立てられているのかといえば、 「礼拝を行うために」、これに尽きます。 そもそも神は人間をご自身に似せて造られました。 そして神から託された世界を治めるのに相応しい者とされました。 でも、これは神に取って代わる存在になるのではなく、 神に仕える、すなわち礼拝する者となるということです。 しかし、その分を忘れ、神のようになろうとしたため、 人は神の下を離れることとなりました。これが罪です。 だからこそ、人間本来の輝きを取り戻すために、 神の御前にあって罪に赦しを願う祭司が立てられたのです。 この祭司の働きによる罪の赦しによって、私たちに礼拝への道が開かれ、 礼拝の恵みにあずかることとなるのです。 |
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江古田教会牧師 風間義信 |
朝の礼拝 午前 10時15分 | 夕の礼拝 午前 4時 | ||
前 奏 | 「Moderato」 | 黙 祷 | |
J.S.Bach | 招きの言葉 | アモス書4章13節 |
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招きの言葉 | アモス書4章13節 |
讃 詠 | 3番1〜3節(讃美歌21) |
讃 詠 | 3番1〜3節(讃美歌21) | 開会の祈り | 主の祈り(讃美歌21)93-5-B |
開会の祈り | 主の祈り(讃美歌21)93-5-B | 信 仰 告 白 | 使徒信条(讃美歌21)93-4-B |
信 仰 告 白 | ウェストミンスター小教理問答: | ハイデルベルク信仰問答 | |
問70〜72 | 問62〜64 | ||
讃 美 歌 | 134編(ジュネーブ詩編歌) | 讃 美 歌 | 134編(ジュネーブ詩編歌) |
聖 書 朗 読 | 詩編140編1〜14節(旧980) | 聖 書 朗 読 | ヨハネによる福音書 |
牧会の祈り | 20章24〜29節(新210) | ||
讃 美 歌 | 227(讃美歌21) | 牧会の祈り | |
聖 書 朗 読 | ヘブライ人への手紙 | 説 教 | 「見ないで信じる幸い」 |
9章1〜10節(新410) | 山崎 光吾 長老 | ||
説 教 | 「礼拝を行うために」 | 祈 り | |
風間 義信 牧師 | 讃 美 歌 | 458番(讃美歌21) | |
祈 り | 献 金 | ||
讃 美 歌 | 436番(讃美歌21) | 感謝の祈り | |
献 金 | (席上・慈善) | 頌 栄 | 27番(讃美歌21) |
感謝の祈り | 黙 祷 | ||
頌 栄 | 27番(讃美歌21) | 報 告 | |
祝 祷 | 風間 義信 牧師 | ||
後 奏 | |||
報 告 |