2012年9月16日 「ただ一度」 (ヘブライ9:23〜28) |
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今週の御言葉 「実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、 現れてくださいました。」 (ヘブライ9:26) |
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かつて大祭司は、年毎に自分のものではない血をかけることによって 罪の赦しが確かなものとされました。 しかし、イエス様の十字架には繰り返しがなく、「ただ一度」の決定的なものでした。 それは「天そのものに入り」といわれるように、完全な贖いを意味するものでした。 それだけでなく、 「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(27節) それが最後の審判などと呼ばれます。 恐ろしさを感じさせますが、これは 「御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださる」(28節)ものです。 それは戦いの中にある一人一人を慰め、生かすためのものです。 これによって主を待ち望む信仰が確かにされていくのです。 |
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江古田教会牧師 風間義信 |
2012年9月16日
朝の礼拝 午前 10時15分 | 夕の礼拝 | ||
前 奏 | 「主はいのちを」 | 黙 祷 | |
讃美歌332 | 招きの言葉 | 箴言3章5〜6節 | |
招きの言葉 | 箴言3章5〜6節 | 讃 詠 | 3番4〜5節(讃美歌21) |
讃 詠 | 3番1〜3節(讃美歌21) | 開会の祈り | 主の祈り(讃美歌21)93-5-B |
開会の祈り | 主の祈り(週報裏面) | 信 仰 告 白 | 使徒信条(讃美歌21)93-4-B |
信 仰 告 白 | ウェストミンスター小教理問答 | ハイデルベルク信仰問答 | |
問:79〜81 | 問72〜74 | ||
讃 美 歌 | 134編(ジュネーブ詩編歌) | 讃 美 歌 | 134編(ジュネーブ詩編歌) |
聖 書 朗 読 | 詩編142編1〜8節(旧982) | 聖 書 朗 読 | イザヤ書1章10〜20節(旧1061) |
牧会の祈り | 牧会の祈り | ||
8讃 美 歌 | 355(讃美歌21) | 説 教 | 「罪が緋のようでも」 |
聖 書 朗 読 | ヘブライ人への手紙 | 祝 祷 | 風間 義信 牧師 |
9章23〜28節(新411) | 祈 り | ||
説 教 | 「ただ一度」 | 讃 美 歌 | 402番(讃美歌21) |
祈 り | 風間 義信 牧師 | 献 金 | (謝恩日献金) |
讃 美 歌 | 436番(讃美歌21) | 感謝の祈り | |
献 金 | (謝恩日献金) | 頌 栄 | 27番(讃美歌21) |
感謝の祈り | 祝 祷 | 風間 義信 牧師 | |
祈 り | 報 告 | ||
讃 美 歌 | 27番(讃美歌21) | ||
祝 祷 | 風間 義信 牧師 | ||
後 奏 | |||
報 告 |