2018年3月18日 「十字架につけられた王」 (マタイによる福音書 27章27〜44節) |
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今週の御言葉 「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。 『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ、 そして十字架から降りて来い。』」 (マタイによる福音書27:39〜40) |
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主イエスの時代、ユダヤは、ローマ帝国に支配されていました。 そのため、ユダヤにおける政治的な決定権は、ローマ帝国より派遣されていた総督、 ポンテオ・ピラトにありました。 ピラトはユダヤの群衆に押し切られる形で、主イエスを十字架につけることを決めてしまいました。 十字架刑とは、ローマの死刑方法でした。 私たちは、このローマ兵に捕らえられ、十字架につけられたイエスを救い主であり、 まことの王であると信じています。 私たちの苦しみを圧倒的な強さで取り去ってくださり、見るからに頼もしい方を救い主、 王と信じているのではありません。 ローマ帝国という権力の前になすすべなく十字架刑に処された方を私の救い主と信じています。 このことは、改めて考えてみると不思議なことです。 主イエスの十字架の死とは、私にとっていったい何であったのかということは、 いつも考えておく必要のあることです。 最も愚かで、最も弱さが現されているように見える主イエスの十字架の姿に、 実は、私たちを救って神のもとに連れていく神の力と神の知恵が現わされています。 神がいないと思える状況の中にこそ実は神の力が現わされています。 |
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江古田教会牧師 浅野正紀 |