2018年7月1日 「主は嘆きを聞かれる」 (詩編6編1〜11節) |
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今週の御言葉 「悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き 主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。 敵は皆、恥に落とされて恐れおののき たちまち退いて、恥に落とされる」 (詩編6:9〜11) |
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私たちは、どんなに神に見捨てられたと思われるような苦しみに落とされたとしても、 そこでもなお希望があります。それは、今、自分が抱えている不安、苦しみ、嘆きを訴えても良い方、 自分の嘆き悲しみを聞いてくださる方がいるということを知っているということです。 私たちが神に見捨てられたと思えるような状況の中にあっても、 決して神は、私たちを見捨てることなく、変らず守って下さいます。 そして、私たちの祈りを必ず聞いていて下さいます。 ですから、私たちは、どんな時も、どんなことでも主に訴え、嘆くことがゆるされています。 ダビデは、まさに神の民を代表して、どうしてよいかわからない苦しみと恐れの中にあっても、 主なる神にその苦しみを訴え、そこから助け出してもらうようにと祈り願いました。 この第六編の嘆きの祈りは、私たちそれぞれの祈りでもあり、また現代の教会の祈りでもあります。 教会が今、直面している課題を私たちも素直に受け止め、すべてを主なる神にゆだねていきたいと思います。 そうすることで、教会全体および私たちそれぞれも成長していきたいと願います。 |
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江古田教会牧師 浅野正紀 |