2017年01月8日 「イエスはダビデの子なのか」 (マルコ12:35〜37) |
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今週の御言葉 「『このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、 どうしてメシアがダビデの子なのか。』大勢の群衆は、 イエスの教えに喜んで耳を傾けた。」 (マルコによる福音書12:37) |
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主なる神が使わすダビデの子、メシアとは、単なるダビデの子孫として 生まれる王のことではありませんでした。 主イエスは実は、このことは、ダビデも知っていたと詩編110編を引用して語ります。 主イエスは、この詩が、ダビデ自身が聖霊に導かれて語ったものであると教えています。 「主は、わたしの主にお告げになった」の「わたしの主」、すなわち 「ダビデの主」とは、メシアのことであると主イエスは教えておられます。 すなわち、主イエスは、ダビデ自身が、メシアを主と呼び、ダビデの子孫 から生まれる王とは違うもっと別の存在であると語っていると教えておられます。 しかし、ここにいた群衆も、ずっと主イエスのそばにいて、直接主イエスから教えられてきた弟子たちも メシアがどのような方なのか、主イエスがこれからどのようなことを成し遂げようとしているのか 本当のところを理解することができた人は誰もいませんでした。 主イエスが何者で、メシアとは、本来どのような働きをするために、この世界にやってくるのかについては、 ずっと後に、聖霊が降り、教会が誕生してからとなります。 |
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江古田教会牧師 浅野正紀 |