2008年3月9日 「死者の復活」 (1コリント15:12〜19) |
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今週の御言葉 「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。 そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、 あなたがたの信仰も無駄です。」 (1コリント15:13、14) |
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あキリスト教会の宣教は、キリストの復活があったからこそ可能となったものです。 もしこの復活が崩れてしまうようなことがあれば、 その宣教は「神に反して証しをしたこと」になってしまうのです。 このように個々人の信仰生活も、教会が建てられているのも、 その土台はすべてキリストの復活です。 教会に欠かすことの出来ない聖餐式で十字架を記念するのも、 主が復活し生きておられるからこそ、その恵みをいただけるのであって、 昔を懐かしんでいるわけではありません。 その主の復活が何とも光栄なことに死者の復活のためになされました。 ですからキリストの復活を喜ぶことは私たちの命を喜ぶこととなるのです。 |
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江古田教会牧師 風間 義信 |
朝の礼拝 | 開会 午前10時15分 | 夕の礼拝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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